最後の停留所の詩人は、もう無駄に泣かない。呻き声が歩調を緩ませる。過ぎ去った年齢の湿気。涙を食べて生きる者達は満ち足りて重く、彼らの魂の首飾りの後ろにいる蛇の目を欺くために、それを飲み干す。詩人はスウェーデンのジム体操に耽る。しかし豊饒と爆発のために、彼は今日希望の光を灯すことを知る。静かに、燃えるように、怒り狂って、親しげに、悲壮に、ゆっくりと、猛烈に、彼の欲望は熱狂に向かって、強烈さの肥沃なフォルムへと向かい、沸き立つ。
我々の待ち望む力の痕跡を認識し、採集することを知る。それらはいたるところにある、数の本質的な言語の中に、水晶に刻まれて、貝殻の上、線路の上に、雲の中に、硝子の中に、雲の、光の内側に、石炭の上に、手の上に、磁極の周りに集まる光線の中に、翼の上に。
執拗さによって喜びは研ぎ澄まされ、天体の鐘へと矢のように昇らされる、冷徹な食糧の波の蒸留、新しい生の創造。全色彩の中でしとどに濡れ、全ての木の葉のあいだで血を流すこと。力強く、渇き、我々が見ず、説明しない構成以前の感情;詩。(la
poésie)
芸術がそのもとで自らを説明する、形のあいだにアナロジーを探すのはやめよう;各人にその自由と国境を。芸術に平衡はなく、星たちの白はそれぞれ独立して発展し、延長し、彼に適応する世界を吸収する。しかし新しい生の方針の認めた平行状態は、理論なくして、時代を特徴付けた。
各要素にその完全性と自立性、新たな星座の創造に欠かせないこれらの条件を与えること;各人がグループの中で彼の場所を持つ。発言の自発性:立ち上がったひとつの存在、ひとつのイメージ、ひとつの構成、ユニークで、熱烈で、踊る色彩から生まれ、強烈、生命による聖体拝領。
芸術は絶えざる差異の行列だ。なぜならそこには計測可能な距離がないからである。つまり、「ごきげんよう」と、人が彼の世界を信じ込ませる水準と、海面下の純粋さの視点で見られた行動する人間達のあいだには。たった一瞬のうちにこの変動する連続を形にする力こそが作品である。持続時間の硝子球、理由なき圧力の下に生み出されるヴォリューム。
精神は可能性の新たな光明を運ぶ:それらを中央に集め、肉体的でも、定義されてもいないレンズの下にかき集めること、――大衆的に――、魂。それらを表現し、加工する作法:方法(la manière)。爆発のように金色に明るく――翼の三日月の打撃が大きくなる。
ロマンティックな絶対的自惚れなしで、僕はいくつかの平凡な否定を紹介する。
詩はもはや主観的でなく、リズムをとらず、韻を踏まず、抑揚もない:儀礼的行為。日常に投げ込まれて、それらはその内において統制も録音もされない役割を持つ。僕がワニや太陽や燃える鉱石と同じような重要性を与える役割だ。眼、水、天秤、キロメートル、そして僕の思いつくすべてのもの、人間になりうる価値を示すもの:感受性。諸要素は愛し合う、こんなにも密接に寄り添いながら、真実抱き合い、脳半球と大陸横断コンパートメントの如く。
リズムとは我々の聞くイントネーションの駈足である。我々が見ず、聞かないリズムがある: 秩序の星座に向かう内なる集合の光明だ。リズムは今まで、干乾びた心の打撃だった;綿にくるまれた、腐敗木でできた鈴。僕は自由についてしか語らぬ原則による、厳格な排他主義で包囲することはしたくない。詩人は真の必要性を見出すために、自分の作品について厳しくなるだろう;この禁欲から、本質的且つ純粋な秩序が花開く。(感傷的な響きのない善良さ、その本質的な側面。)
我々が人々のあいだに位置させる、準備中の作品について厳格且つ冷酷、純粋且つ正直であること、新たな組織、光の骨の中と行為の神話的形態の中で生きる創造。(現実。)
残ったもの、文学と呼ばれるものは未来の教師たちの指南のための、人間の愚かさについての資料である。
詩はクレーターを押しまた掘り、黙り加速された度合いの長さを殺し叫ぶ。それはもはや視覚の産物でも、感覚の、知性のものでもなく、感情の痕跡を加工する印象、能力だ。
比較はもはや我々を満足させることのない文学的手法である。あるイメージを形にし、また統合させる方法があるが、諸要素は遠く異なる球体の中に囚われてゆくだろう。
論理はもはや僕らを導かないしその市場は、ほどよく便利、あまりに無能で、彼らの女詐欺師、彼女は不毛な相対主義の小銭を撒き散らし、僕らのために永久に消えることがない。別の生産的な力はその自由を叫び、炎の如く輝き、定義不能で巨大、硝子と石の山上にいる。
自由、自由:ベジタリアンではないのだ僕はレシピをやらないぞ。
闇はもし、僕らの次の停留所で何も見えなくなるほど白く純粋な光であるなら生産的だ。その光より前方で僕らの光が始まる。彼らの光は僕たちにとって、靄の中の、顕微鏡的舞踏であり、漠然とした高揚における影の要素で無限にひしめいている。その純粋さにおける物質は、高密度で確かなものではなかろうか?
切り倒された木々の樹皮の下、僕は来るべき事柄の絵画を探す。力強さの中から、そして海峡の中に、生は既に膨らませているかもしれない、鋼鉄と石炭からなる闇を。
|