人間的な紹介

ここでは、ツァラの人間味溢れるちょっとしたエピソードやツァラ描写を紹介していこうと思います。
(年齢は順不同です。)


ツァラ、リヒター、アルプ チューリヒにて
 

■『Littèrature』誌企画にて

 「有名人」ランキングを掲載した回、満20点からマイナス25点の範囲内で、ツァラは誰よりも多くマイナス25点をつけている。このころまでに文通を始め、のちに親友となるマン・レイには気前よく11点をつける。

■バレス裁判にて
 ブルトンはすごく真面目にやりたい。でもツァラはこの裁判自体に乗り気でない。
 以下ツァラとブルトンのやりとり。
ブルトン: あなたは、モーリス・バレスについて何を知っていますか。
ツァラ: 何も知りません
ブルトン: それでは何も証言することはないのですか。
ツァラ: あります。
ブルトン: それは何ですか。
ツァラ: モーリス・バレスは、私が文学的経験の中で出会った、一番感じの悪い男です。(中略)
ブルトン: あなたは、同時代の誰か、またはまったく別の人物にたいして、尊敬の念を抱いたことがありますか。
ツァラ: いいえ。だってすべての人間はばか者(Idiot)ですから。(中略)バレス氏は、その人生の擁護しうる行為にも関らず、今世紀最大の豚野郎です。
ブルトン: モーリス・バレスのほかに、大豚野郎の名をあげることができますか。
ツァラ: はい。アンドレ・ブルトンです。
ブルトン: :証人は、まったくの白痴(Idiot)とみなされたいのか、それとも精神病院に入れられたいのか。
ツァラ: はい。私はまったくの白痴とみなされたいと思います。でも私が人生を過ごしているこの収容所から逃げ出したくはありません。(中略)私の言葉は、私のものではありません。私は、全ての人の言葉を持っていて、それらをよく混ぜ合わせて、ちょっとしたブイヤベースを作るのです。
ブルトン: 結局、あなたは弁護側証人なのか。
ツァラ: そうです。バレスが低脳名ヨーロッパ世界の弁護側証人であるように。
 この他、最後には「Chanson Dada」を歌ったりして、全てを茶化してしまう。
         
左からツァラ、エリュアール、ブルトン、アルプ

■レイヨグラフ発見
 現像中の失敗からレイヨグラフを発見したマン・レイ。翌朝、前夜の実験の成果を壁にピン留めして「よしこれをレイヨグラフと名づけよう」とわくわくしていたところ、同じホテルに暮らすツァラが「昼飯食いに行こー」と誘いにくる。そしてレイヨグラフの作品群を見て「これは純粋なダダだ!」と感動し、「これまでにも似たような実験はあったがこんなものは見たことがない」と絶賛。そしてその夜ツァラはまたマン・レイの部屋にやってきて、奇抜なデザインをマン・レイと競い合う。
 マン・レイは円錐、三角形、バネを用い、ツァラはマッチ棒でお互いレイヨグラフの制作に熱中。しばらくしてマン・レイは「なあもうこのへんでやめとこーぜ」と言い出す。このままだと発見を自分ひとりのものに出来なくなりそうで心配になったからである。
 その後レイヨグラフは無事マン・レイのものでありつづけ、ツァラはその宣伝に大いに奔走し貢献する。

■マン・レイの引越しパーティー
 このパーティーで26歳のツァラは、いくつものアルコールを混ぜ合わせた不思議カクテルを持参。


■「ル・ジョッケー」というバーの開業日に店の前で撮影されたグループ写真にもツァラは写っている。ほかにマン・レイ、ジャン・コクトー、エズラ・パウンド、ウィリアム・バードなど。キキは「客は得意の芸を披露することができた」と記しているがツァラは一体何をやったんでしょう…

■1924年、エティエンヌ・ド・ボーモン伯爵夫妻開催の仮面舞踏会に招待客として参加。昔芝居を後援してもらった縁による。これにはピカソやマン・レイもやってきている。当時どこの舞踏会でも随一の美女と誉れの高かったナンシー・キュナードと一緒に、マン・レイの要求に応じてポーズをとる。ほっそりとし、仮面をつけ金色のシルクハットが長身をいっそう引き立てるナンシーの前にツァラは跪き、手にキスをする。

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