詩人のこの人格は、彼のチューリヒ時代の初期の活動から、その関心の一部を形成していた。1916年に彼の仲間であったマックス・ヤコブ、そして修道院で死んだマトレル神父の天上冒険と、その滑稽で謎めいた作品にインスピレーションを受けて、彼は『アンチピリン氏の最初の天上冒険』を書く決意をする。これは、後に似たような内容の『二度目の…』と続いてゆく。この姓は彼が頻繁に悩まされていた神経痛に使う薬品の名前からきている。初めは冗談でしかなかったのだが、これは作品の主題においてはしばしば起こることだが、やがてより深刻なものへとなってゆく。後になって、同じ人物が、彼に社会の中での直接的で明確な機能を与える、反哲学者Aa氏という名前に変更された。ツァラは、まだチューリヒにいた頃に、彼の散文詩をまとめて、次の題のもとに編纂することを考え始めた; オートクチュール、反哲学者Aa氏。ここでは職人的手順と、本の主題を同時に表している。
この本はこのタイトルで出版されることはなかった。1933年になってやっと、その時にはシュルレアリストグループの中でも最も卓越したメンバーの一人にあったにもかかわらず、彼はEditions
des Cahier Libresから『反頭脳』を出版する。これは、その第一部が完全に「反哲学者Aa氏」に費やされている重要な選集である。彼にとって、これはその関心の続いていることと、彼の様々な著作の間には断絶などないということを強調する手段であった。それでもこの章は、この哲学敵対者に割かれた全テクストをまとめたといったもの、というわけにはならないだろう。そのためにはまだ、Aa氏が署名者であろうと語り手と推測されるものであろうと、全てのテクストを加える必要がある。全体として、驚くべきほど確固たる錯綜に彩られた書物である。それというのも、ダダ宣言の断片にしても、まず第一に詩として出版されたこの選集、同じ詩的な様相を呈しているからである。全ては雷光と、不合理の思想と論理についての熟考と、中断されたフレーズ、語義の両立不可能性、音と言葉の結合、そしてダダ的エクリチュールの特徴と言える、視覚的な遊びによって成り立っている。
この人格は、いわば頭脳疾患とも考えられる哲学に与し、また対立している。しかし、彼の姓はジャリの作品、『超形而上学者フォーストロール博士の言動』(1898年、出版は1911)と、作中のキャラクターである「ha
ha以外に人間の言葉を知らない」大ヒヒ、泳ぎのボッスを彷彿とさせる。ツァラは、スイスではハンス・アルプがキャバレー・ヴォルテールで朗読した『ユビュ王』しか知らなかったとはっきり述べているが、しかし、文学を破壊するために、まったく反対の方法で、同じ嘲笑、同じ皮肉を分かち合うには、何も彼の作品を読んでいるかなどは大した問題ではない。
喋っているのは、つまりダダなのである。しかし、あの運動とは異なるダダ、ツァラひとりによって考案され、想像されたダダである。だから、彼は著作権のしるしに、Dを削ったのであった。本当のところ、ここで表現活動を行っているのはツァラではなく、彼の通訳、Aa氏である。彼の発する言葉のマグマの中で、はたして人格的な特徴を定義することは可能だろうか?ある確かなやり方で、彼は、著者の無意識像、ジャリならば「彼の醜い分身」とも言うであろうものであり、自身に反して自らの表現を求め、解読してそれを形にしなければならないだろう「速記記号」を彼に送るのである。しかし彼はまた、自発的に原始的な言葉によって自己表現を行う演劇の登場人物でもあり、そしてツァラが公的な発表においては責任を負いうけた数々の宣言の著者でもあった。
著者の分身でありながら、Aaはうまく脇にそれ、あたかも彼の反対に位置するもののようにつくられている。ツァラが褐色の目であるのに対して、彼は青い眼をしていなかったか?彼は、ロートレアモンの登場人物と同じように、「鉄のスカラベ」、つまり夢の実在、キマイラなのである。さらに、彼は理論と、また加工、食糧、衣料、繊維製品のがらくた全部が生まれ出ずる一種の通商基金たる企業のオーナーである。彼は多面体ユビュ王のように、独学で最近も培養し、どうやら全種をダダと名づけていたようだ。したがって、『七つのダダ宣言』のごとく、我々は堂々巡りなのである。ツァラは、彼自身でも種々のダダ製品を作る反哲学者Aa氏を創るが、結局のところ、ツァラがその著者なのだ。Aa氏がモードのアトリエを所有していることは明記されており、彼はそこでハサミを使う。間違いなくそれは、他の者がパッチワークや寄木細工を作るのと同じように、コラージュを行うためであった。
著者=演者であり、作品の制作者でもあるAaはまた推理小説の中の奇妙な登場人物である。そこで皆さんは、容赦なく中断された次のような節で書かれた、この件に関するある文章を思い起こしていただきたい。「ポケットの中の死、ポケットの中の鍵、鍵にはぎらりと敏捷な目があり、Aa氏は疑いはじめた彼はやり遂げてきたところだ彼の、我々の瓶の中のなんて重い中毒。」もっと月並みな点を挙げると、彼は感情をもち、ホテルの部屋の中の孤独や退屈、生の悦びと倦怠を知っていた。彼の立案者の近親でもあるAa氏は、サーカスの団長であり、またいくつか差し引いたにしても、少なくともアマチュアの画家であり、展覧会の主催者であった。彼の人生は平凡なもので、言ってみれば他の皆と同じであった。手紙を待ちわび、日用品に税金を払い…等々。とにかく、ダダ宣言が称賛するように、彼は有機的な人生を送っているのである。
こうした事柄を考慮に入れると、疑問に思えてくるのは、一体どうしてこのように野心的な豪傑が、哲学者と哲学に対立を表明するのかということである。彼がその敵対関係を目立つ形で主張しないにしても、言語と哲学の二つの領域における彼の、哲学を撹乱したいという野望は暴かれている。彼は「簡単な方法で手に入れられた人工精液を理想と呼ぶ」同類たちの頑なな習性を告発し、また彼自身は、彼が本質的なイメージと呼ぶものの中で、ガス状の原始的な思考を研究する。しかし、嘆かわしいことに、彼は次のことに気付かざるを得なかった。つまり、「独裁者たる脳はブイヤベースの中に残ったカニでしかなく、そして皇帝のために自ら残されているのだ。」ここから、彼は「我々は決して自分自身の固有の脳の中で充分に強くは噛み付くことはできない」と結論づける。この知的警戒の呼びかけは、彼自身にとって、全可能性を探求する一人の男の意思から生じており、そこには人間への失望など欠片もない。彼には、自分の批判が自分自身の存在に対して矛盾していることは分かっていたが、その一貫性の欠如すらも認めているのである。この点こそが、彼の見せる最もモダン(ツァラはこの表現が好きではなかったが)な点であり、最も、科学理論の最新情報、つまり一方では一般化された相対性理論、またもう一方では全個人における感情の両義性というものに、基づいた考え方なのである。同じ脳、それに向かって神経線維が集中するその脳が、常にイメージの知覚において役割を持ち、ダダ的英知が目指そうとする精神の平静のための調節器となっているのである。この平静のためには、我々は思考の中枢を鍛え、ちょっとやそっとの刺激には無感覚になるようにしていくことが望ましくなる。反哲学者の最も明確な役割が、読者を思考の轍から解き放つことである放火魔、砲兵であるにもかかわらず、である。 |