3.アヴァンギャルドの最前線

 グループの雑誌は、この手探りの足跡を残している。1916年の6月、彼らは「キャバレー・ヴォルテール」の創刊を祝う。この30ページほどの小冊子はやがてヒューゴ・バルの署名により出版される。「文学と芸術のアンソロジー」というような真面目な趣で、手持ちの手段によって準備された。創刊号で、これ以上ないほどの明晰さでダダの言葉が現れる。また更に我々は、その中にはぐくまれている運動の目的を明言する論理的な唯一のテキストをも読むことができる。その雑誌はアヴァンギャルドの最前線と考えられた。
 その雑誌には、主にキャバレーで読まれた詩が載っている。たとえば1916年3月31日にキャバレーに参加したヤンコ、ヒュルゼンベック、ツァラによる「同時詩」「提督は売家を探してる」の記録などだ。バルの要求に従って、彼らはあらゆる氾濫を避けた。よって彼らは極左翼のプロパガンダ・アジテーションとは程遠いところにとどまっていた。グループはキュビズムや未来派の美に強く影響を受け、とてもおとなしいものに見えた。未来派は強力な力でもってそこにいた。我々は区別する、国際主義は主張された唯一の誇張表現だ。それはつまり、むしろ簡略化されたものの中で己を見出すものである。フランス人のアポリネール、イタリア人のマリネッティやモディリアニ、スペイン人のピカソやロシア人のカンディンスキー、ドイツ人、ルーマニア人、そしてまた無国籍の人々はそこで出会ったのであった。
 ヒュルゼンベックとツァラによって作られた「御者とひばりの会話」を読む中で、我々は典型的なダダの雑誌の次の刊行を知る。ひばりの台詞;「ダダの創刊号が1916年8月1日に出版されるからだ。チューリッヒのスピーゲルストラッス一番地の役所と新聞社は戦争とおかまに全く関係ない、現代的国際的活動、イ・イ・イ・イ。」
 小さなグループはエスカレートするゲームの中へと歩みだす。ヒューゴ・バルによってリードされたリズムは、ひどく臆病なように見えた。もっともっと激しく攻撃しなければならない!いつも人を馬鹿にしたような手段で、彼らは炎上する文章を作成し、そしてチューリヒの熱いイベントのショーでテストした。そのアジテーションの才能と、揺るぎないニヒリズムによって、ツァラは活動の指揮をとった。1916年7月を過ぎるとすぐに、「DADA1」が出版される。ヤンコによって作られた鮮やかなオレンジの表紙を伴ったいでたちでだ。我々はこんにち、電撃的で国際的な文学の一部分を思い出す。1916年12月に刊行されたダダ2号は、まさに芸術的な感興であった。いくつもの記事が未来派主義において、そして更に一般的には詩や、また同様に絵画の土俵におけるすべての前衛表現においてダダをかつぐ網状システムを喚起する。
 ダダがそれ自身の様相を顕にするのを見るには1918年12月に出た3号を待たねばならない。「文学と詩の選集」の記載は完全に姿を消し、「トリスタン・ツァラ監修」の文字がそれに代わる。ダダ3号は、新しくラディカルな印刷におけるアナーキストの火種である。キュビズムと未来派は、「良識」と「ブルジョワのサラダ」に還俗する。
 さて、ダダ3号に収められているもののメインはやはりツァラによる「ダダ宣言1918」の発表である。驚くべき程向こう見ずな青年により投げつけられた文字通りの焼夷弾だ。全てがそこにある:暴力、扇動、そして挑発。現代アーティストの実験の簡単な想起のあとで、彼は、彼が正しいとされている既成概念の転倒を強めると同時にダダ精神によってそれを聞くと名言する。今まで決して、ダダの抗議は同等の明晰さと力によって表明されることはなかった。芸術的な自発性と虚無感による一掃の賞賛、文章はこんにち強烈な覚醒の古典として残っている。そして明らかであることだが、ツァラの呼びかけは自殺的なものは何も持たない。活気付けることをしたがった運動は、近代性の全ての役者に向けて開かれたままだ。それは虚無を作るだけでは満足しない、確かな回数未来の中で監視をし、(味方の全ての嘘と自由の未来の中でだ)、そして真実の理想郷に向けて開かれている。
 彼はこの仕返しの呼びかけの波と、この自由の言葉の大洪水をことごとく明示しなければならなかった。全世界の若さはまだこの美しい炎上を思い出すことができる。気晴らしに、ここにいくつかダダの言葉を引用しよう…。
「僕はシステムに反対だ。まだしも受け入れられるシステムは全く原則を持たないシステムだ。(中略)力強く、正しく、正確で決して理解されない作品を作らなければならない。論理とは複雑性だ。論理はいつも間違っている。それは観念と外形だけの言葉の糸を、先端、幻想の中核にむかってたぐりよせた。(中略)
 僕は宣言する。この腐敗した太陽の淋疾における宇宙的規模の自由が哲学的思考の工場、激しい闘争からダダイスト的嫌悪のあらゆる手段によって出発することを。(中略)
 自由:DADA DADA DADA、それは痙攣する苦痛の叫喚、相互背反と、あらゆる矛盾、グロテスクと不条理の錯綜体、生だ。」
 このようなジャンルにおいて我々は一体これ以上にうまくやれるものか?いったい何人の盗作者がここからアイディアを借りようと試みただろう?実験の一撃のため、それは巨匠の一撃だ!チューリッヒは沸騰の中にある。カフェのテラスであけっぴろげな快楽によって、人々はこの宣言を書き写した。ツァラの伝説はまさしく始まったのである。それは時折、天才的な仕事によって養われた。たとえばこのダダの詩の作り方のように。
「新聞を取りなさい。鋏を取りなさい。新聞からあなたの詩に与えようとする長さの記事を選びなさい。そっと記事を切り抜きなさい。次に記事を構成する語をひとつずつていねいに切り抜いて、袋に入れなさい。そっと揺り動かしなさい。それから、切抜きをひとつずつ取り出しなさい。語が袋から出てきた順番に注意深く書き写しなさい…」
 何という成功だろう!彼の仲間達は、その真のアイデンティティのもとにある循環する怒涛の狂気の騒音と勝利の只中にツァラを運ぶことに何の躊躇もしなかった。ダダ1号の抜粋の中で名を連ねるアルベルト・サヴィアノはそれを認める:「肉と骨の人間存在であるというよりも、トリスタン・ツァラは名前であり略号であり、戦闘の叫びである。そのような点で、トリスタン・ツァラが作られた人格であり、名詞的人間であり、敵をだまし恐ろしい手術の行われる避難所を偵察するために迷彩をほどこされた砲兵部隊の隊員であるという推測は、流布されはじめた。」
 ツァラは彼ただ一人でまったく恐ろしい機械であり、そしてダダはいまだ多くの点で謎に包まれている…

 

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