Zurich

ツァラスポット巡り1

ここでは、ツァラの足跡を辿っていきます。
参考文献:Tristan Tzara dompteur des acrobates / Marc Dachy

 《口頭調書》

 チューリヒ警察   チューリヒ、1919年9月30日 11時

  出頭者 ROSENSTOCK Samuel、1896年4月16日、ルーマニア、モイネシュティ生まれ、ブカレスト出身、フィリップ(ローゼンストック)とエミリー(シバリス生まれ)、独身、哲学科学生、ホテル・Seehof滞在、自称・訴訟の前歴なし。
  以下本人による述懐 1916年の6月に私はブカレストからスイスに、学業のため到着しました。両親はルーマニアのヤセニの家(私有)に住んでいます。私は家族の中で唯一スイスにいる人物です。
 はじめに、私はFraumunsterstrasse 21のペンション、Altingerに滞在しました。一年ほどそこに留まり、次にZurichbergstrasse19のペンション、Furrerに行きました。同時に、Bellerivestrasse、もしくはDaliastrasse7、チューリヒに、部屋を持っていました。ペンション・Furrerから、だいたい今年の1月頃まで滞在したホテル・Seehofへ移動し、それから11月20日に滞在申告をしたホテル・Seehofに戻る前にSeefeldstrasseのKatz氏のところへ行きました。
  私は大学に登録しています。以前はチューリヒの私立学校、Zurich6のSonneggstrasseのHausmannにいました。私は大学の学生ですが、神経症のため、2ヶ月の休学の後、学業を中断せざるを得ませんでした。
 私がダダイズムの代表者であることは本当であり、そこにおいて私はTzara Tristanというペンネームで文学活動を行っています。私はこの領域でDr.Sernerと共同で仕事をしています。セルナーのことはもう長く、つまり2年前から知っており、彼は私より先にKatz氏のところ、Seefeldstrasse Zurich8に住んでいます。現在は、セルナーはジュネーヴに住んでいます。彼の正確な住所は、Chemin des Roches 2です。


(参照はここまで。ツァラが警察に出頭したいきさつの気になる人は続き→こちら
  それでは、あなたもツァラに成りきって下さい。まずはチューリヒ駅です。青年ツァラははるばるブカレストから、ここに降り立ちます。手には鞄、ああ長旅はかったるかったな…ここがチューリヒだ!さあスイスにやってきたぞー
    
 チューリヒ駅の構内。右は駅の丸天井。スイスの中でも特に美しい街(高い街)とされている、さすがチューリヒです。

 調書によると、まず最初に腰を落ち着けたのは、Fraumunsterstrasse 21にあるペンション、Altinger。
Fraumunsterstrasseは、チューリヒを二分する川の左岸に位置する、高級そうな地区の大通りです。

    こんな通り。21番地は↓
 
       がーん。工事中でした。
 いまは銀行らしくて、それの改修をしていました。これは在りし日の建物の写真。でも、ツァラがいたペンションだった頃は、もっと違ったかもしれません。最初の一年、ツァラはここに住みました。

次は、Zurichbergstrasse 19のペンション、Furrerに行きます。
チューリヒの街並みはとてもこざっぱりとしていて、空は広く、アルプスは見えるし、川は流れ、湖にはカモメ…と、とてもすてきなところです。

      これがZurichbergstrasse。
 
 19番地はこちら。
  
  

 閑散……。
 ホテルのようです。メニューがありました。
        


 ここはチューリヒ大学からとても近いところです。10分もかかりません。学生らしいな~、私らと同じだな~と、ちょっと親近感を持って嬉しくなりました。チューリヒ大学は、次のページにて!

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